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フィールド文化学

フィールド文化学専攻分野

桑山敬己教授

文化人類学は
社会を生きるひとつの「教養」になる

社会学部では、入学後に授業を聞いて自分が掘り下げたい分野を選ぶことができるカリキュラムになっています。今回はその中でも「フィールド文化学専攻」にゼミを開いておられる桑山敬己先生にお話をうかがいました。桑山先生は文化人類学者として「日本人が日本社会以外でどのように見られているか」を研究テーマにしておられます。文化人類学という学問の意義や、先生のこれまでのご研究について、少しでも伝われば幸いです。
聞き手:鈴木謙介(社会学部准教授)

文化人類学とは
どのような学問か

――「文化人類学」という学問は、高校生が普通に知っている分野ではないと思います。桑山先生は授業で初学者を対象にするとき、どのように文化人類学を紹介してらっしゃいますか?

高校生にとってイメージしやすいものでいうと、地理の授業で出てくる「民族」や「世界の生活様式」です。あれは実は、かなり有名な文化人類学の先生が書いているんですよ。

――そうなんですね。地理に出てくる内容に近いものだと、関西では国立民族学博物館(みんぱく)の展示なんかが近いものとしてイメージできそうです。

初学者にとって混乱しやすいところもあります。「民族学」と「文化人類学」は同じものなのか違うのか、まずそこでつまずいちゃうんです。結論から言うと同じものだと考えていいです。ですから、みんぱくの展示を見て関心を持った人は、ぜひ文化人類学をとってみてほしいですね。

ただ、いまは「民族学」という言葉はほとんど使わなくなりました。ひとつの理由は、「民族」という言葉が戦争に利用されたからです。たとえば、旧満州国では「五族協和」という民族政策が掲げられました。そうした背景から距離を置くために、戦後の大学の授業では「文化人類学」ということが多いのですが、博物館はいまだに「民族学博物館」というので、ここで混乱してしまうんです。

いっぽうヨーロッパ大陸では、「人類学」というと人類の進化に関する研究を指します。それがたとえばヒトとサルの違いの研究から発展して、頭蓋骨の大きさを測定するなどして、人種間の知能の差を明らかにするといった研究につながりました。

――場合によっては「文化の多様性」について学ぶときに文化人類学の考え方に触れているかもしれないけれど、そのイメージが結びつかないということですね。もうひとつ、文化人類学に似た言葉で、社会学部では「文化研究(カルチュラル・スタディーズ)」を扱うこともあります。このふたつは違うものなんですか?

文化人類学とカルチュラル・スタディーズは大きく違う分野ですが、文化を扱うという点では共通しています。カルチュラル・スタディーズはもともと戦後のイギリスの労働者階級の研究から出てきたものなのですが、「労働者にはエリートのような高尚な文化はない」という見方に抗して、彼らの独自の文化を明らかにしました。ここが文化人類学との共通点ですが、一方で、文献や理論の研究が多いカルチュラル・スタディーズに対して、文化人類学は現場を重視して、フィールドワークを行うという違いがあります。

フィールドワークだけでなく
自分が苦痛でないやりかたでいい

――いま、フィールドワークという言葉が出ました。いまでは総合の時間などに地域を歩くことをフィールドワークと呼ぶこともありますが、先ほどの博物館の展示などを思い出すと、文化人類学のフィールドワークは、自分とは異なる文化圏に入っていくということになりそうですね。

文化人類学のフィールドワークを「外国の文化圏に入ること」だと受け止めると、ハードルが高く感じられます。私自身は、この大学に赴任して初めて学部生にフィールドワークの指導を行ったんですが、「文化人類学のゼミでは必ずフィールドワークをしなければならない」というと、学生さんが躊躇してしまいます。「大切なのは、あなたが何について知りたいかであって、そのための方法としてフィールドワークが有効ならば、やればいい」というのが私の考えです。

言い換えると、フィールドワークが有効でない問題もあるということです。たとえばいま、多くの日本人は現政権についてどう考えているかといったこと。これをフィールドワークで明らかにしようとすると、分かる前に政権が交代してしまいます。こうした問いに対しては、アンケート調査を行うのが一番いいわけです。

ただし、「現在の政権を支持しますか」と言われて、明確に「はい」と言える人ならばそれでいい。しかし、「うーん……」と迷ってしまう人もいるかもしれない。その迷いの部分を掘り下げて知りたければ、フィールドワークの一部であるインタビュー調査が効果的です。

だから、先にフィールドワークありきになってしまうと、フィールドワークが効果的な問題設定しかできないことになります。それは順番があべこべだと思うんです。まず「何を知りたいのか」という問題意識があって、それが文化人類学のフィールドワークにかなっているのならば、フィールドワークをやってみようという順番で考えるべきなんです。

――フィールドワークそのものも、インタビューしなければならないとか、何年間か一緒に暮らさなければいけないというお考えではないということですね。

そうです。少なくとも私はそのように考えています。

多くの学生が、社会調査というとイメージするのは、「量的調査」と呼ばれるアンケート調査だと思います。それに対して「質的調査」であるフィールドワークにも、いくつかのやり方があります。ひとつは実際に「人の話を聞く」ということ。いわゆるインタビュー(聞き取り)調査になります。それから「人の行動を見る」というもの。これを「参与観察」といいます。

文化人類学の研究者であっても、人の話を聞くのは苦手だが、観察するのは得意だという人もいます。ですから、問題設定がフィールドワークに向いているものであっても、その人自身がその手法を苦手だと思うかもしれません。それは苦痛なだけです。

こうしたことを考えるようになったきっかけは、かつて留学していたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にいたときに、指導教員に言われたことでした。「どういう方法で調査すればいいですか」という質問に対して、彼は「それは、君が “comfortable”だと思う方法でやればいい」と答えたんです。

英語の “comfortable”には様々な意味があります。「気持ちがいい」とか「気楽にできる」といった意味なんですが、最初に聞いたときには面食らいました。もっとしっかりとした方法を指導されるのかと思いきや「気楽なのがいい」とは!

でも、実際にやってみると、フィールドワークには苦痛なところもあるわけです。見ず知らずの人の中に入って、初対面の人の話を聞くわけですから。フィールドワークが苦痛だと、いずれフィールドそのものから足が離れてしまう。だからこそ、自分にとって“comfortable”なやり方を選ぶのが大事なんですね。

「日本社会」は
英語圏でどのように見られたか

――文化人類学を「外国に行って調査する学問」だと思っていたんですけど、必ずしもそういうわけではないんですね。

ええ。そもそもグローバル化の時代には、日本の大学で勉強していても必ず留学生がいて、異文化に触れるのが当然になる。だから国内における異文化は普通にあるわけだけれど、それも実は今に始まったことではありません。戦前から中国・朝鮮にルーツを持つ人たちが日本国内にもいたわけですから。

とはいえ、一般的に文化人類学というと「異文化」の研究だとされています。ただ私はその中でも「異文化としての日本」という研究対象を選んだんです。

私が生まれたのは1955年(昭和30年)のことです。この年は非常に面白くて、世界的に言うと、ディズニーランドやマクドナルドができた年で、日本の高度経済成長が始まる時期でもありました。私が高校生くらいになると、経済力を背景に、日本はもっと国際化すべきだ、もっと欧米の人たちと接するべきだと言われるようになった。

その頃によく読まれていたのが「外国の人たちに日本をどう説明するか」という本でした。学部生のとき私は英語を専攻していて、「日本を英語で説明する」ということを考え始めたのが、いまの研究に入るきっかけになっています。

――日本人論が流行する背景として高度経済成長があったというお話でした。それ以前に遡ると、本居宣長の国学などもあったけれど、やはりルース・ベネディクトの『菊と刀』のインパクトが大きかったように思います。ベネディクトを含めたアメリカ人にとって、戦争相手だった日本、あるいは日本人が、なぜあのような戦い方をしたのかということは、文化人類学的な研究の対象だったわけですね。でもそれがひるがえって、「『日本人は外国人からどう見られているか』を強く意識する日本人」というのが出てきて、それが日本人論へとつながっていったのではないかと。

まさにその通りで、これは明治時代にもあったことなんです。大森貝塚を発見したエドワード・モースという人がいます。彼は、貝塚の遺物を検証した結果、カニバリズム(食人)の形跡があると考えました。しかし、アイヌにカニバリズムの習慣があるとは文書に記録されていないので、原日本人はアイヌ以前の人々、具体的にはアイヌの神話に出てくるコロボックルではないかという「プレ・アイヌ説」を唱えたのです。

日本人類学の父と言われる坪井正五郎は、外国人のモースが日本について語ることに反発しつつも、モースの説を基本的に受け入れました。これに対して、小金井良精は、アイヌこそ日本の先住民であると主張し、「アイヌ・コロボックル論争」が起こりました。結局、坪井がロシアで若くして客死したので、論争は尻切れトンボになったようです。アイヌと日本人の遺伝的関係については、いまなお不明確な所が多いはずです。

いずれにしても、西洋人が日本について何かを言って、それに賛同または反論する形で日本人研究者が発言し、日本人による日本文化論が起きるという流れは、戦後にも続いていくんですね。

――先生が先ほどおっしゃっていた中高生の頃というのは、1970年代に入り、先進国が石油危機の影響で苦しむ中、経済的な力を維持した日本に対して「日本から学ぶところもあるのではないか」という海外からの熱視線が注がれるようになった時期ですね。社会学者のエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が、もっともよく知られています。

そうですね。そうした背景もあって、私の研究は「英語圏で日本はどのように見られたか」というものになっていきました。ただ、通っていた東京外国語大学をはじめ、当時の日本の大学ではあまり文化人類学が教えられていなかった。そこでダメ元だと思ってフルブライト奨学生に応募したら、なんと採用されてしまったんですね。まさに「人生の女神が微笑んだ瞬間」でした。

留学生としてUCLAに通い、そこで文化人類学の基礎を学びながら、日本社会については自分で研究するという大学院時代でした。そのうちに学会にも出るようになり、文字だけで触れていた有名な先生と直接接する機会ができました。

同時に1986年に岡山のある農村を9か月ほどフィールドワークして、その成果をもとに博士論文を書いたんですね。そのフィールドとはいまでもつながりがあって、訪問すると昔からご存じの方が声をかけてくれます。嬉しいものですね。

他者を鏡として
自分自身を見つめ直す

――日本国内をフィールドとしてアメリカで研究をされていたというお話はとてもユニークだと思います。国際交流の必要性が言われる中、受験を考えている人でも、大学時代に留学してみたいという気持ちを持っている人は多いと思いますが、「異文化を知る」ということについて、どのようにお考えになりますか。

文化人類学者だからといって、研究対象の文化に精通しているわけではありません。人によっては、フィールドで研究しているときの態度と、日本で生活するときの振る舞いが食い違うこともあります。フィールドではニコニコ顔、帰国後はしかめっ面みたいに。ですが私は、「フィールドで学んだことは、ホームで活かせ」と思っているんですね。

たとえば日本人が外国に行くと、黄色人として差別を受けることがあります。では、その差別を受けた身として日本に帰って、同じように外国人として差別を受けている人を見たら、以前とは感じ方が違うはずです。というのも、同じような経験をした人の「におい」というものが、感覚的に理解できるようになるからです。

だから、文化人類学といってもかつてのように、いわゆる「未開」とされる地を研究する必要はないですし、日本国内で研究をしている人もたくさんいます。

――「遠くの国に行って、いまの時代とは違う情報を持って帰った」というのは、情報の格差という意味では貴重だけれども、自分自身を変えるようなものではないということですね。少し違う話ですが、たとえば「英語の勉強」ってなんのためにするのか。同じように英語ができない日本人の中で、ちょっとでも英語ができることで就職に有利になるとか、そういうことのためではないでしょう、という話をよく学生にします。それと似たところがあるお話だなと思いました。

文化人類学も変わりつつあります。遠くの情報を得ることだけではなく、「内なる他者」に目を向けるようになっています。先ほども挙げたとおり、日本には以前から大陸にルーツを持つ人々が生活していたし、植民地時代には「日本人」としてオリンピックに出場した異民族の人もいました。そうしたことを、多くの人が忘れていたんではないでしょうか。

――コロナ禍で様々なことが制限された中、それが緩和されてきて留学に行ってみたいと考えている人も多いと思います。でも、海外に行くことでどのような「異文化理解」ができるようになるのか、はっきりとイメージできている人は少ないかもしれませんね。今日のお話では、文化人類学的な視点や態度を持っていることが、より深い異文化理解につながるのではないかと感じました。

私は、文化人類学を学んで学者になる人は少数でいいと思っています。その代わり、文化人類学の世界観に触れて、それを生活に生かしてほしいと思うんです。それを「文化人類学を生きる」と呼んでいます。

文化人類学を生きるというのは、まず相対主義的な立場に立つことです。ときどき驚くことに、外国に行って、日本と外国で文化が違うという認識のない人がいるんですね。大切なのは、自己とは違う他者がいるという認識をまずもつことだと思います。

その次に、その他者は、自分と同じ尊厳を持った存在だと認識することが大事です。どうしても日本人は、明治からずっと先進国に追いつけ・追い越せでやってきたので、外国が自分たちより進んでいるとか遅れているとか考えがちです。でも、相手は自分と同じくらい人間らしくて、威厳を持った人間であるはずです。

最後に、他者を理解することによって、自分自身を理解するということが大切だと思います。他者を鏡として自分を見直してみることで、はじめて分かることがあります。韓国からの留学生と話していて「日本人はケチだ」と言われたことがありました。どうやら、日本の学生は外食のときに割り勘をするからそう感じるようなんですね。実際、韓国の学生たちを見ると、誰かが買ってきたフライドポテトをグループの真ん中に広げてシェアすることが多い。それが次のときには別の誰かがおごるという形で関係性のサイクルを生むんですね。

自分たちと違う行動をとっている人たちをみて、それを変だと思うのではなく、彼らには彼らなりのロジックや世界観があると考える。とても小さくて日常的なことを入り口にして、その背後にある世界観や宗教観といった見えないものに到達する。それが、文化人類学を生きるということではないかと思います。

上手に「人と関わる」ためにこそ
「鈍感になる」訓練が必要

――先生はアメリカの大学で研究、教育に携わった後に、北海道大学を経て関西学院に着任されました。2023年度でご退職になる予定ですが、ここまで学生と接していて、どのようなことを感じましたか。

私は、この大学に来て初めて学部生にフィールドワークを指導したんですね。そこで分かったことは、教員が「とりえあえず行ってこい」という形で学生を放り出すのはよくないということです。聞き取りに行った先で怖い思いをするかもしれないし、そもそもそこがどういう場所であるのかを学生が理解していないかもしれない。だから、まずは私がフィールドの方々に連絡をとって、その上で学生たちにアポイントを取らせたり、フィールドワークの最中も、何かあったらすぐ駆けつけられるようにしておいたりしなければいけない。

ときどき、学生たちに前もって何も伝えずにフィールドに出す先生がいます。ですが、事前に十分な準備とレクチャーをして方向性を決めておかないと、学生たちは何をしていいか分からないですよね。

いま神戸市の長田区で実習をしているのですが、こうした指導の仕方がようやく分かってきたところで退職というのが残念なところです。

――学生の側にとってはどうでしょう。フィールドワークを通じて変わるところはあるんでしょうか。

文化人類学では、フィールドに深く入り込みすぎてしまって、現地の人とまったく同じような人間になってしまうことを “going native”という風に言います。でも、実際には相手と同じようになることはほぼ不可能なわけですし、それを目指すべきではありません。ただ、交流を深めていく中で、先ほど話したように自分自身を見つめ直していくと、だんだんと自分のことを疑うようになってきます。いままで自分が思っていた「当たり前」が、当たり前でなくなってくるからです。

言ってみれば、「白」と「黒」という二項対立があったとして、その狭間でグレーな存在になることがフィールドワークでは大切ですね。このグレー・ゾーンを文化人類学では「リミナリティ(境界状態)」と呼びます。リミナルな状態というのは、白黒はっきりしないから不安なんですね。しかしながらフィールドとの関わりを通じて、その灰色の状態に耐えられるようになるというのは、学問ばかりでなく人間の成長としても大きいと思います。

――今日のお話の中で、何度か異文化と接して自分も変わるという話が出ましたが、まさにその自分が変わる体験が、「灰色の自分に耐える」ということですよね。しかし一方で、そうした体験は、なんと言いますか「コスパ」が悪いようにも見えます。自分が変わるとかそういう話はどうでもいいから、手っ取り早く知識だけ身に付けられればいいという人もいるのではないでしょうか。
世界に目を向けてみると、異文化理解は大事だと口ではと言いつつも、むしろ異なる文化、異なる考え方の人とは相容れなくていい、ブロックしてしまえばいいという「分断」が深まっているように見えることと、この話は関係するかもしれません。敵と味方、友人と他人、自国民と外国人といった形で安易に線を引いてしまいがちな時代に、文化人類学を生きるということは、どのように貢献できると思われますか?

先ほど申し上げた通り、文化人類学の専門家になる人は多くなくていい。むしろ文化人類学は、社会を生きるひとつの「教養」としての意義を発揮することができると思います。

他者に関心のない人、自省することのない人は、どこか無知で傲慢だと思うんです。私たちは人間として生きている限り、どこかで成長したいと思っている。人間は社会的存在ですから、成長するためには人と関わらなければならない。その関わりで傷つくこともあるかもしれないけれど、それがないと自分が成長することはできない。

勉強だって、最初から好きで仕方がないという人は少ない。でも、嫌だなあ、遊びたいなあと思いながらも仕方なく勉強しているうちに、その面白さが体でわかってくるということがある。だから、社会的存在である人間として成長したかったら、ある程度は他者と関わってみなさいと言いたいんです。

フィールドに学生を送り出してみると、彼らもいい意味で「鈍感」になっていくんです。聞き取りの最中に嫌な思いをして、最初は「えー、こんな人が世の中にはいるんだ」と思うこともあるんだけど、そのうちにだんだん面の皮が厚くなってくる。私はそれを「インセンシティビティ(鈍感)・トレーニング」と呼んでいるんですが、トレーニングだから、ある程度まで練習で上手になるんですね。

――人と関わるときに、むき出しのままの心で人と接すると、やっぱり傷ついてしまう。でもそうした傷が、いずれかさぶたのように傷跡を覆って、いい距離感で人と接することができるようになる。大人になる上で、そういう傷を負うことも大事ということでしょうか。

そうですね。他人と接するときに、相手のすべてを理解したり、自分のすべてを見せたりするのは無理です。たとえ長年連れ添った夫婦であってもです。

若いうちは「やりたいこと」と「やりたくないこと」に物事を分けがちですよね。確かに本当に「やりたくないこと」はやらないほうがいい。苦痛なだけですから。でも、両者の間に「やってもいいこと」というのがあると思うんですよ。「人と関わる」というのは多くの人にとって「やってもいいこと」に入るんじゃないかと思います。「やってもいいこと」を上手にできるようになるためのステップとして、「鈍感になる」訓練が必要なんだと思います。

文化人類学は、すぐ結果が出たり、お金になったりするものではない。その意味で「スローサイエンス」だと思います。特にフィールドではお互いに傷ついたりすることもある。だからコスパが悪い。でも、大学生のうちに、そういう「コスパの悪いもの」にも意味があるんだと悟ることが、この時代に、対面で大学に通うということの意義なんじゃないでしょうか。

長時間に渡るインタビューでしたが、あっという間に時間が過ぎました。先生は、時おり冗談や余談を交えながら、文化人類学の魅力について語ってくださったのですが、まさに「本筋から離れたところで聞く話が一番面白い」という、大学の学びそのものを体感できたと思います。また、最後に語ってくださった「鈍感になること」というお話も深く刺さりました。なんでも白黒つけたがる時代に、傷つくことがあっても他者と関わろうと思うような経験をすることの意義について、ぜひみなさんも考えてみてください。

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