わたしの専門分野とゼミの研究テーマ
わたしの専門は、家族社会学とジェンダー論です。授業では、家族やジェンダーの問題について、「自分自身がその問題の一部であるような問題」として考えることを大切にしています。たとえばセクシュアル・ハラスメントの問題について、それをどこかの頭の硬い、性差について古臭い考えをもった一部の男性の問題と考えたのでは、得るものは少ないです。そうではなく、わたしたち自身が常日頃行っている、女性として、男性としての「ごく普通の」コミュニケーションの仕方や、大学や企業、部活やサークルといった社会集団のあり方などがこの問題にどのように関わっているのかと問うほうが、得るものが多いと思います。
実際、そうした観点から、「望まない性的働きかけに対する日韓女子大学生の断り表現の違い」をテーマに、卒論研究をおこなった学生がいました。韓国からの留学生であるこの学生は、韓国に帰国した際、家族や親友らから「話し方が変わった」と指摘されることがよくあったそうです。すなわち、何かを使う際に「これ使ってもいい?」と相手に許可を求めたり、会話の際に笑顔や相槌を多く用いたり、また、自分の意見を述べる際に「~らしい」、「~だと思う」など自信がなさそうな表現を用いる、といった変化です。こうした表現はいずれも、日本で暮らすわたしたちが、女性として日々当たり前に行っているものではないでしょうか。実際彼女が行った調査でも、望まない誘いかけに対し、日韓の女子学生はともに相手の感情に配慮した断り方をしていたが、日本の学生のほうがより婉曲で控えめな表現を用いる人が多かったのに対し、韓国の学生は逆質問や指摘といった、会話の主導権を握るような言語表現も用いていました。彼女はそうした違いを、日韓のジェンダー教育やフェミニズム運動のあり方の違いと関連づけて考察しました。彼女は「なぜ自分は変わったのだろう?」という自分だけの問いから出発して、卒論の研究を行ったのです。
わたし自身は、大学院生の頃から一貫して「母性(motherhood)」の問題に関心を持ち、調査研究を行ってきました。この社会で女性に期待される性役割にはさまざまのものがありますが、なかでも「母親」という性役割には生物学的な基盤があり、もっとも抗うことが難しいものであるかのようにみえます。わたし自身、20代の終わりに出産したときには、これでもう自分は母親になったのだから、研究もおしゃれも諦め、子ども中心の生活を送るのが当然と考えた時期がありました。自分自身、専業主婦家庭に育ったこともあり、1歳に満たない子どもを保育所に預けることは、正直、「子捨て」に近い行為であるように思えたのです。しかし、実際に保育所を利用するなかで、また、家族や子育てについての社会学や人類学、社会史等の研究を読むなかで、その考えは改められました。今では、「母性」というものに人一倍つよく囚われていたわたしにしかできない研究があると思い、研究をつづけています。